「図を字にする」という発想

あるタイポグラフィをもとに、図案に変化させるという発想がある。それに対して、いくつかの図案を集め、それらを文字のような記号体系にしていくという発想がありうる。

David Bowie の最後のアルバムとなった「Blackstar」では、ユニコード文字としての図案体系が定義されている。

Blackstar created by Jonathan Barnbrook
http://www.barnbrook.net/work/david-bowie-blackstar/

私たちはある対象のグループを目にする時、それらを何らかの記号体系として認識するのではないか。記号の意味づけは、見る人によって異なる分化がされ、独自の体系が築かれてゆく。図案集合を言語体系として定義する視覚表現が、「図を字にする」という発想である。

自分の弱さを共有することは、他者と相補的な関係を結ぶこと

ベイトソンの『精神の生態学』を読んでいる。彼はナヴェンの儀式の調査研究で、人間社会のコミュニティ的な活動における相補性の原理を発見し、それを「分裂生成(シズモジェネシス)」と命名した。イアトムル族の調査では、男同士が対抗的になっている対称的なコミュニケーションと、男女が役割を交換することによって発生する相補的なコミュニケーションが起きているという。

人付き合いをするとき、相手を対称的な関係として捉えるか、相補的な相手として捉えるかで、その人の見え方が変わる。他者を自分と切り離された誰かとして見るよりも、”内なる自己”として私が分化したものが相手であると認識をあらためてみる。誰かと協力して何かを作ることは、自分の弱い部分を認め、それを他者に共有するということではないか。

現在起点のものの見方

私がいま過ごしているのは、今である。この今は、「現在」を起点に過ぎるものか、それとも起点となる「未来」に向かって流れていくものか。

時間との付き合い方を二つに分けて考えてみる。未来起点の過ごし方と、現在起点の過ごし方である。現代人は、未来を起点に生きている。例えば、雇用の安定した企業に入りたいとか、将来起きうる事故に備えるために保険に入るとか、そういう生き方である。現代というか、近代とは、未来を起点に設計されている。

過度な未来志向は、窮屈さを生む。未来によって、現在が束縛される。そういうものは、カウントダウン的な構造を持っている。例えば駆け込み乗車。5分待てば次の電車が来るのに、なぜ目の前に飛び乗りたくなるのかというと、カウントダウンが始まるからである。合理的かどうかを考える余裕を与えず、未来に向けてカウントダウンされると、人は体が動いてしまう。

それに対して、現在起点に生き方はハプニング的な構造を持つ。ハプニング構造がどういうものか、いまいちイメージしにくいのだが、発見とか、遊びに関することである。あらかじめ想定していたこととは異なる何かが起きること。未来起点が理知的であるのに対し、現在起点はもう少し情緒的である。

現在起点を考えるうえで、手がかりとなる本を3つ並べてみる。
・G・ベイトソン(1986, 1987)『精神の生態学(上・下)』思索社
・マーシャル・マクルーハン(1987)『メディア論』, みすず書房
・ハーバート・A・サイモン(1999)『システムの科学』, パーソナルメディア

3冊に共通して論点となるのは、矛盾を抱き込んでいかに前に進んでいくか、ということだ。ベイトソンのいう相補的分裂生成において、エートス(感知)とエイドス(認知)をどう噛み合わせられるか。マクルーハンのいう印刷文化によって分断された知性と感性を、どう結合させられるか。サイモンのいうオーダーに対する矛盾を孕んだデザインとはどういうものか。

システムにおける内と外

システムとは何か。一年半ほど前、大学の恩師と話をしていたところ、「君の仕事はどういう仕事なのだ?」と聞かれた。ウェブサイトを作っているとか、ウェブアプリケーションを開発しているとか、会社の資料を作っているとか、そういう個別の仕事の説明はしていた。しかしその質問の意味は、要するに私がやろうとしている仕事は何なのかという質問だった。自分の仕事についてろくな説明をできず、情けない思いをした。

私が作ろうとしているのは、なんらかのシステムである。システムとはどういうものか。
・有機的に結びついている(機械的、非生命的でない)
・ネットワークで相互接続されている(単体でない)
・点と線で構成され、その結果として面が現れている(一点だけでない)
・動的である(静的、固定的でない)
・1つの点への影響が、全体に波及する
・常に相互接続されている(切断されることがない)

システムとは、例えるならどういうものがあるか。
・組織(人々が協力して何かを遂行する)
・意匠(視覚表現のパターン、バリエーション、アルゴリズム)
・生態系(食う・食われるの関係、生きる・生かされるの関係)
・交通(渋滞など)
・人体(不調がある、機能ごとに系に分かれるが他の機能も担うことがある)
・思考(モードがある、集中モードと散漫モードなど、モードによって同じデータを与えても導き出される結果が変わる)
・言語(言葉自体の体系と、言葉を通じた思考の体系と、言葉を通じた人間関係の体系の3つに関わる)

システムが影響を及ぼすのは、内部にあるものだけでなく、外部にあるものにものにも及ぶ。言語がそうである。言葉の単語、単語のもつ意味、発音、文法上のルールなどという言葉自体のシステムがあるが、これは内部的なシステムである。言葉を用いて人間は思考し、他者とコミュニケーションをする。このような外部的なものまで言語は影響を及ぼす。

システムとはどこまでを内包するものか。外部的だとみなされるものまで、システム内部だとみなせば良いのか。外部要素があるとすれば、例示した項目に当てはまる外部要素とは何か。
・組織(市場、政治の方針、他の組織との関係)
・意匠(発注者が伝えたいメッセージ、最終的に伝えたい相手やユーザの嗜好)
・生態系(災害)
・交通(天候、交通量、傾斜や道幅など道路の走行しやすさ)
・人体(空気、栄養、他者、活動の内容)
・思考(身体、怪我と病気)
・言語(思考、人間関係)

こういうものを外部要素とみなすなら、まるごと含めてシステムと見なした方がよい。しかし、私が外部と見なしたかったのはこういうことなのか、しっくりきていない。

生きた道具と死んだ道具

道具、という語が前回の観察で出てきた。私は道具に関心がある、ということをこれまで知らなかった。私のなかにある道具とはどのようなイメージか。

道具の性質
・一生を通じて利用者との関係を築く
・身体を拡張する
・使いこなすのに技術を要する

道具の具体例
・包丁(切る)
・カンナ(削る)
・ペン(書く、考える)
・コンピュータ(計算する)
・まな板(作業させる)
・鍋(加熱する)
・コーヒーカップ(おいしく飲む)
・ストップウォッチ(時を計る)
・眼鏡(はっきり見る)
・シャツ(着こなす)
・消化器(火を消す)
・下敷き(ペンを紙に埋めない)

なぜ私は道具に関心があるか。努力で使いこなせるようになるものだから。生まれ持った才能に依存するものを私は好まない。道具は、努力すれば使いこなせるようになる。意思でどうにかなるはずのものである。
身体の特徴は人によって違うが、その弱点を道具は補う。手法、方法、道具、そういうものは頼りになる、信頼できる、と思っている。

道具はデザイン的である。機能を突き詰めて設計されたものだから。機能美。

私は機能を拡張させることに関心があるのか。外れてはいないが、しっくりくるわけでもない。

機能とは動詞である。動いている。形容詞のように状態を表す静的なものではない。動くことは生きることだ。しかし、道具自体が生きているわけではない。あるいは、生きている道具というものがある。

道具には、生きた道具と死んだ道具がある。人が組織で働くとき、従業員は組織の道具である。役職、という形で彼らはデザインされる。道具の種類に応じて、異なる学問が用意された。社会科学は生きた道具を対象とし、工学は死んだ道具を対象としている。

図解言語とデザイン

図解言語という言葉をどこでみたか思い出せない。自分の書棚にある本のどこかに書いてあったはずだが、今朝探しても見つけられなかった。『視覚言語』というギオルギー・ケペッシュの本があるが、これが近いかもしれない。

「図解」と「言語」というそれぞれの言葉から連想されるものを列挙して行く。

図解
・視覚的に理解できるもの
・イメージ、想像力
・一目で分かる、さほど考えなくても理解できる形式
・数字、グラフ、チャートなど
・地と図、表面と海底
・見えない部分をも示す、明示するやり方と、暗示するやり方がある
・自分に示唆を与える図解と、他者に伝えるための図解は違う

言語
・ことば
・人が使うもの、動物は使わない
・いや、動物や植物も使っているかもしれない
・コミュニケーション、他者との意思疎通
・書きことばと話し言葉がある。もともとあったものは話し言葉
・死んだ状態(=書かれた言葉)と生きた状態(=話された言葉)
・常に変化する。新しい言葉が時代によって生成される
・緩やかな体系をもっている
・文法、運用上のルールがある
・多様である、多言語
・メッセージを運ぶもの
・言うこと、語ることの違い

デザインとは言語である。図解言語と文字言語から成る。デザインとはなにか、整然とした状態にする何か。

私が作ろうとしているものは何か。デザインという言い方をしているが、デザインという箱を取り去ったときに、それはデザインらしき形をしているものなのか。実は違うのではないか。

私が関心のあるものと、関心がないものを、一つのまとまりにして列挙して行く。

私が関心あるものの性質(関心あるもの / 関心ないもの)
・驚きがある / 退屈である
・新たな発見がある / 他者の言うことを受け入れる
・形がきれい / 生理的に受け付けない
・快楽のある / 退屈である
・またやりたくなる / 飽きる
・自分の中から探す / 知識を得る
・道具を介する / 人間の身体で完結する
・枠組みを作る / 既存の体系に則る
・素人芸 / 玄人芸
・キワモノ的 / 洗練
・方法的 / 反復できない

考えることは、そこまで偉いか

エンターテイメント的なものはアート的なものよりも劣る、という見方がある。これはどういう考えから来るものか。

エンターテイメント的なものは想像力を働かせる余地が少ない。自分の頭で考えることが必要とされない。異なる可能性について想像をめぐらせることができないから、知的に退屈である。しかし、感情的には大きく動かされるから、人気がある。その結果、お金につながるため産業的に成功しやすい。

考えることが偉い、ということが根本にある。果たして、本当にそんなに偉いものか、疑ってみる。

考えることは楽しい、自分で全く脈絡のないものから要素を引っ張ってきて、新たな関係性を見つけるという遊戯は楽しい。ここにも楽しい、という感情が伴う。感情が大きく動かされる、という点では、エンターテインメントもアートも変わらないようである。では、偉い、というのはどこからくるか。

知的であることか。なぜ知的であることが偉いのか。考えてみたが、思いつかない。

考える、感動する、という観点からの理解を試みたが、うまく整理できない。他にどういう要素があるか。考えるでもなく、感動するでもない理由で、アートが偉い理由は何か。

感情移入させずに物語を成立させることは可能か

暑い。朝も暑かったが、昼も暑い。コンピュータが重い。

物語。私がどういうものに関心を持っているのか、興味の方向性がどういう所に向いているかという観察をしているが、これは物語である。探求するとは、自分の物語を作るということなのではないか。小説とか、映画とか、芝居とか、そういうフォーマットではなく、情報を伝えるとは物語的な構造にならざるを得ない、ということがあるのではないか。デザインとはそういうことだ。

物語でない構造で情報を伝えることは可能か。物語である、あるいはでない、ということはどういうことか。感情移入しないこと。起承転結に分断されていないこと。デザインに登場人物はいるか。ユーザが登場人物だとしたら、それはろくなものではない。起承転結にならない、ということがありえるか。クライアントが伝えたいメッセージがあるということは、やはり物語だ。メッセージとはそういうことか。マクルーハンが言ったことはよく分からないが、そういうものを含んでいるのか。

物語とは無縁の人生を歩んできたと思っていた。先日、エイリアン1を観て、その構造を換骨奪胎して、桃太郎の話を書くということをやった時、物語の面白さを初めて味わった。その際に、孤狼の血を見に行ったのだが、エイリアン1と構造が全く同じであった。エンターテインメントとはそういうものか。構造的には新しさが求められない。でも面白い。映画館に行くと、映像の迫力と音響のすごさに、ただ圧倒される。背もたれに押し付けられる。一方、芝居は自分から見に行かないと入ってこない。生の芝居。歌舞伎とか宝塚とか、文楽とか。どこを見るかは、観客側に委ねられる。これまでは、映画なんて視点を押し付けられる窮屈なものだとばかり思っていたが、物語の構造を見るようになってからは、ポジティブな見方ができるようになっている。

関心。自分の関心。物語とは別の観点で、私が気になっていることがある。なんだっけ。思い出せないのだけど、こうやって系ているとk、多分そのうち思い出されると思う。あー。うちわで仰いでいる人がいる。とりあえず、なんかこうして描いていれば、どこかで繋がってくるはずなのだ田。コーヒー屋にいるのだけど。若いお兄さんが目の前を通り過ぎる。

ちょっと思い出せない。諦める。諦めることからしか、何かは始まらない。文章を書くことで、書き出すrことで、今の自分の中にどういう関心が湧いているのかということを絞り出すことができる。絞り出せば、容量の空きができる。そこに泉が入ってくる、千日回峰行をやった人が、別の断食の行に入った時、喉が乾いた時にそういう状態になってということを書いておった。

入門自然言語処理を学ぶ会がありがたい

オライリーの『入門 自然言語処理』を学習している。

入門自然言語処理を学ぶ会という月イチの勉強会に参加している。
各自で1章分を読んできて、学んだことを発表するという形式。
Pythonビギナーだし、自然言語処理も初めてなので、このぐらいのペースだと無理なくやれて良い。
凄腕Pythoneerの森本さんや金子さんから毎度新しいことを教えていただけて大変ありがたい。

発表用のソースコードをGithubにあげた。

pythonでtwitterのbotを作った

何かの文字列がツイートされたのに対して、何かをリプライするbotを作った。
pythonで自然言語処理を勉強し始めたところなので、こちらもpythonで作った。
python-twitterという素晴らしいラッパーにあやかった。

tw_python_bot

どこかのサーバーで動かす必要があったので、さくらのVPSを契約して動かしてみたが、むしろVPSのサーバー構築の方が大変であった。

この辺の記事に教えを請うた。
http://d.hatena.ne.jp/killinsun/20130606/1370542828
http://qiita.com/mima_ita/items/ecdf7de2fe619378beee



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2018
9月
14「図を字にする」という発想
8自分の弱さを共有することは、他者と相補的な関係を結ぶこと
8月
11現在起点のものの見方
7月
24システムにおける内と外
20生きた道具と死んだ道具
20図解言語とデザイン
18考えることは、そこまで偉いか
17感情移入させずに物語を成立させることは可能か


2015
9月
19入門自然言語処理を学ぶ会がありがたい
7月
20pythonでtwitterのbotを作った
13hanamogeraの分析
4月
17JINS MEME アイディアコンテストの企画
16実験することによってコミュニティを作る
10ものづくりの指針
7黒い立体
3月
25まぶしいスケッチを書いた
23単位展はコンピューテーションを実践していた
21テキストをグリッチさせる
18ビデオをアスキーアートに変換するスクリプトを書いた
17確定申告に間に合った
10俺にとってのチャレンジ
10ものまね芸
10gulpをいじっている
9経費の整理
7朴さんの話を聞いた
6BaPA落ちた


2011
12月
6Mr.doobに感謝
6FITC tokyo 2011 で仰天した
8月
29アレハンドロ・アラヴェナ展に行ってきた
26Webサイト制作は”ことづくり”
7月
2カンヌ2011グランプリ受賞作品
6月
15「クリエイティブでいるための29の方法」
5月
23ブログ開設。

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